60歳で辞める!

50代半ばのサラリーマンが60歳で退職するまでの日々を綴ります。

上達度の測り方

僕の趣味はゴルフとサウナとピアノの3本。サウナにはありませんが、ゴルフとピアノにははっきりと上手い下手があります。「下手の横好きで」などと言いながらも、やっぱり上手くなりたいですし、その向上心がなければ、たとえ趣味とは言え真剣に取り組めなくなります。

 

ゴルフの場合、スコアや飛距離である程度の上達度は測ることができますが、ピアノはなかなか尺度が難しいですね。「この曲が弾ける」というのは一つの目安でしょうが、人に感動を与えられるレベルと楽譜をなんとか再現しているのとでは大違いでしょうが。

 

それにしても、今年初めから習い始めたピアノはなかなか上手くなりません。やっぱり50を過ぎてからの習い事は身につけるのが難しいんでしょうか。忍者の子どもが植えたばかりの双葉の上を一日1回ぴょんと飛ぶ修行をしていて、気がつけば背丈ほどの跳躍ができるようになったなんて作り話がありますが、あんな感じでピアノ演奏の腕前も上達しないですかねえ。いずれにせよ、毎日鍵盤に向かうことが必須なんでしょうけど。

速いグリーンの方が得意

きょうはゴルフの話です。僕のゴルフの腕前は調子が良ければ80台、ちょっと悪くても100は叩かないというレベルです。まあ平均よりは少し上手というくらいでしょうか。中学のときに野球をやっていたおかげか、結構な飛ばし屋です。僕と同じ組に入ると、力んで調子を崩す人もいます。ただ、パットが下手です。これが改善できれば、あと5つくらいはスコアを縮められるのではと考えています。

 

そんなグリーン上の劣等生でも、ときどき少ないパット数で上がってこれる日もあります。それは「速いグリーン」の日です。ふつうグリーンが速いと難しいとされるのですが、僕の場合、真逆なのです。芝を短く刈ってパンパンに固めた、いわゆる高速グリーンの方がイメージが出るのです。

 

これは案外、パターを苦手とする人の共通点かもしれません。要はパターに自信のないひとは強くパットすることができず、たいていショートしてしまいます。当たり前のkとですが、パットはショートしては絶対に入りません。だから同じ1メートルを残すにしても、オーバー目に打つのがセオリーです。ところがパターが下手な人はカップを大きく通り過ぎるのを恐れるあまり、しょーとしてしまうのです。返しのパットに自信がないので、よりその傾向が強くなります。

 

これが速いグリーンだと、自分が考えている以上にボールが転がってくれるので、かえって結果が良くなるというわけです。先日の女子プロゴルフのプレーオフでも、決められなかった鈴木愛は上り、決めて優勝した渡邉彩香は下りのラインでした。ただ、鈴木愛は入れられなかったとは言え、きっちりとオーバー目に打っているのが立派です。

 

僕の座右の銘は「Never up never in」です。そう、届かなければ入らないのです。これはゴルフの格言に限らず、人生訓にもなると思うのです。でも、ゴルフでは「手前から」が基本だったりもするので、そこらへんが複雑で面白いところなのです。

ブログのネタがないという幸せ

そもそもこのブログを始めたきっかけは、1年前の不本意な人事異動でした。自分が評価されなかった不満と先行きの不安に潰されそうになり、本気で早期退職を考えていました。すでに会社を辞めた先輩や会社の人事制度に詳しい同僚に話を聞いたりして、なんやかんやで退職届を書くこともなく、会社にしがみついています。結局は大学を出てからずっと在籍していた会社を飛び出す勇気も、自分を違う環境で試してみる自信もなかったということでしょう。

 

それにしても、あの頃は毎日書いても書いても湧いてきたモヤモヤが最近はだいぶ薄くなり、ブログのネタに困るようになりました。新しい部署に少しずつ馴染んできたのか、不満が消えたのかあるいは達観したのか。達観というよりは諦観に近いかもしれません。達観の域まで成長してませんので。

 

もはや元の職場に帰りたいとも思わなくなった今、七夕に何を祈ろうかと困ってしまいます。せいぜいゴルフの上達を願うくらいでしょうか。ブログを書く原動力だった怒りが消え、明日を夢見る妄想もなくなった現状は幸せと思っていいのでしょうか。

誕生月に由来の名前

昨日ラウンドしたゴルフ場で付いてくれたキャディさんの名前が弥生さんでした。聞いてみると、当然と言うかやっぱり3月生まれ。ここから少し話が広がりました。

 

誕生月にちなんだ名前を付けたくても、誰でもOKという訳にはいかないよね。12 月生まれだからといって、師走って名前ははないし。

 

弥生以外に名前にしやすいのは何月かな?葉月さんなんていいよね。そのまんまじゃなくても、ちょっとアレンジするのもありかな。神無月から「かんな」とか。そうそう、橋本環奈ちゃんね。

 

僕は心の中で「かんな」ならば神津カンナだろう。しかも彼女の母親は中村「メイ」子なんだし、と呟きました。後で調べたら、橋本環奈は2月生まれ、神津カンナは10生まれ。やっぱり僕の感覚の方が正しかったようです。ちょっと古いけどね。

ピアノレッスンを続けられる訳

今年の頭から通い出したピアノ教室。コロナの影響でオンラインレッスンとなり、教室再開後も生徒と先生が別のブースに入るという遠隔での講義が続いています。これだと結局はオンラインレッスンと変わらないので、家で講義を受けるのと同じなのですが、会社帰りに寄ったり事務手続きがあったりと、時々はリアルな先生の顔を見に行く感じです。

 

このリモートレッスン化で「離脱者」が増えたそうで、退会や休会する人が相次いでいると聞きました。やはり隣に座ってもらってレッスンを受けないことにはなかなかイメージが出ないですから。また、やめることはしなくても講義を予約しない人も多いそうで、「それだと会社は損しないけど、私たちはレッスンしないことにはお金もらえないんです。」と先生がこぼしていました。

 

僕もどうしようかな?と考えたことはあったのですが、ゴルフだけが趣味だと身体が動かなくなったときに困るなと思って始めたピアノなので、なんとかやめずに続けています。毎日とは言えませんが、週に4日くらいは鍵盤に触れる習慣がつきました。

 

なぜ続けられるかを考えたとき、「先生に怒られる、呆れられる」恐怖が練習のモチベーションになっていることに気付きました。こちらはお客さんで、しかもええ歳のおっさんなので、先生に叱られるということはないんでしょうが、子どものときの習い事で練習をせずに行って怒られた経験が軽いトラウマとなっているのかもしれません。これって、ライザップのダイエットのモチベーションと同じですよね。誰かに監視される見守ってもらうことが、自分の我慢や努力の原動力となるわけですから。そんなこんなで、きょうも会社帰りに「叱られ」に行ってくるつもりです。

真夏のゴルフラウンド3連チャン

ゴルフは好きですが、さすがにこの歳になると「連チャン」は堪えます。ましてや真夏のラウンドとなると体力の消耗も半端ないのですが、8月に3連チャンでラウンドする予定が入ってしまっています。

 

球聖とも言われたボビー・ジョーンズというゴルファーが残した名言に「人生の価値はどれほどの財産を得たかではない。何人のゴルフ仲間を得たかである。」というのがあります。ゴルフ番組のオープニングなんかでも使われている有名なフレーズです。まあ、そこそこの財産=稼ぎがなければゴルフ仲間もできないので、この言葉を額面通りに受け取るわけにはいかないのですが、社会人になってから友だちを作るというのは難しく、ゴルフで知り合った人たちと交流が続くというのは貴重なことであることには間違いありません。

 

僕もメンバーになっているゴルフ場で仲良くなった人たちや、会社でのゴルフ愛好家、中学校のときの同級生など、いろいろな形のゴルフ仲間がいます。この大切なゴルフ仲間との関係を維持しようとすると、「誘われたら断れない」という心理が働きます。もちろん、仕事や体調の都合で1回くらい断ったところで「次はもうない」なんてことはないのですが、せっかく誘ってくれた相手に対しては何とか一緒にまわりたいと思うのが僕のスタンスなのです。そうすると「誘ったら確実に一緒にまわれる」と相手に思われる訳で、幸か不幸か毎週日曜日はラウンドの約束で埋まってしまうということになります。

 

そんなこんなで8月の3連チャンゴルフラウンドが決まっているわけで、近づいたら服装やら帽子やらタオルやら日焼け止めやら塩飴やらと、万全の暑さ対策で乗り切ろうと考えています。

老いの自覚

50歳を過ぎたというのに、自分がオッサンになったなあと感じることはそれほどありませんでした。確かに夜更かしは堪えるし、筋肉痛も3日ほど遅れてやってきますが、それは40歳くらいには始まっていたことなので、今さらという感じなのです。ゴルフの飛距離もそれほど落ちたということもなく、何とかキープできているつもりだったのです。

 

オヤジになったなと思うようになったのは、体力というよりは精神的な部分です。世間で面白いとされていることにちっとも興味がわかなくなったのです。ヒカキンに代表されるユーチューバー、何が面白いのかよくわかりません。YouTube自体はよく見るのですが、その多くはテレビの過去素材、やっぱり僕にとってはテレビこそが娯楽の王道なのです。今でこそコンプライアンスでがんじがらめになった放送業界ですが、昭和のテレビ番組は視聴者の想像を超える笑いが満載でした。

 

いつ頃から若い人の笑いについていけなくなったのか考えてみたら、「バズる」という言葉が使われ出した頃からだと気付きました。旬のエンタメにバズらなくなった僕の感覚、やっぱり現役ではないことを自覚せねばならないようです。