60歳で辞める!

50代半ばのサラリーマンが60歳で退職するまでの日々を綴ります。

ブログのタイトルを変更

このブログ、「55歳で辞める!」というタイトルで今から4年前に始めたものです。その頃は50代に入ったばかりで、いろいろとうまくいかない会社での日々に悲観し、本気で55歳で早期退職することを考えていたのでした。あれから4年、鬱々としたサラリーマン生活が大きく変わったわけではありませんが、人事異動があって多少は腐らずに仕事ができる環境となったことや、思っていた以上に老後資金が必要なことがわかってきたことから、アーリーリタイアは諦めるという結論に達しました。

 

次の目標は「きっちり60歳で辞める」というものです。そこまで難しいことでもないでしょうから、目標というより選択といった方が正しいかもしれません。僕の勤める会社は多くの企業と同様に60歳で定年、その後の5年間は希望すれば再雇用してもらえるという制度になっています。60歳以降の年収は現役時代の半分以下になりますが、それでも8割くらいの人間が会社に残る選択をするようです。ひょっとしたら、金銭的な事情よりも「他にやることがない」「社会と繋がっていたい」というような理由なのかもしれません。

 

「8割は再雇用」と書きましたが、僕が尊敬する元上司や親しかった先輩はほとんどが会社に残らず、スパッと60歳で辞めているのです。最近、定年が迫ってきてやはり60歳で辞めることを選択した先輩に「なぜ僕が好きな人は会社に残らないのかな?」と聞いてみたところ、「会社以外に自分の世界を持ってる人が多いんじゃない」と返ってきました。確かにそうです。会社を離れても趣味やらなんやらで充実した生活を送れそうな人ばかりです。ということで、このブログのタイトルを変更したように「60歳で辞める」ことを胸に秘め、残された5年ほどのサラリーマン生活を締めくくろうと思っています。

走りながら考えること

結局、55歳で会社を辞めることを諦める自分。経済的な問題以上に、家族の理解が得られないというのが大きい。嫁さんも息子も、ただただ働くのが嫌で会社を辞めたいと思う僕が怠惰だと考えているからだ。まあ、その通りなんだけど。

 

最近、隔日で早朝のジョギングを始めた。家の周辺を4キロ、時間にして30分弱になる。それほどスピードを上げているわけではないものの、やっぱり走っていると息が上がって歩きたくなる。そんなときに考えるのが「残り何分のいくらか」ということ。だいたいの目安だが、半分くらい走ったとか、残り3分の1だとかいうのはわかるので、それが小さくなっていくことだけを楽しみに、あと少しだけ頑張ろうと堪えるのだ。

 

会社人生もまさに同じ感じ。およそ残り6分の1だから、何とか定年まで耐えようという気力が続いている気がする。そしてジョギングの心持ちと共通するのは、無になっていると楽になるということ。そんな残り距離のことなど考えずに、頭が空っぽになっていると苦しく思わないのだ。夢中で仕事してるときは、しんどいけれど苦しくはないという不思議な境地になるものだ。あと5年ほどのサラリーマン人生、そういう時間を少しでも増やしたいものだ。

またtotoを買いたい気分に

いつぶりのブログ更新だろうか。

まあそのくらいストレスなく仕事ができていたということなのだが、ここに来て「投げ出したい病」が再発しつつある。

 

会社というのは残酷なもので、適正な人員配置というのがなされていないケースが多い。現場がどれだけ声を上げても、「何とかしてくれ」で済まされてしまう。現場は現場で苦しみながらも「何とか」してしまう。結果、「何とかなるやん」で片付けられてしまう。

 

そんなことが繰り返されるうちに、いよいよ閉塞感に溢れてくる。今の僕は競馬で言う疲弊の第3コーナーを回ったところ。55歳での早期退職を望むなら、そろそろ人事に申告しないといけないが、このところは「定年まで行くしかないか」と諦めの境地だったので、心の準備ができていない。

 

もうtotoで6億円当てて、定年とか形に拘らずに「今すぐ辞めます」と言える楽な立場になるしかない。行き詰まるとtotoに現実逃避するしかないというロシア軍以下の戦略に絶望する日々がしばらく続きそうだ。

新しい年度と新しい生活

きょうから4月、いつもならエイプリルフールにどんな嘘をつこうかと考える程度の一日ですが、今年は人事異動の対象となったため、それなりの節目となりました。

 

もう1週間くらい前から、出ていく部署と新しい部署でどんな挨拶をしようかと思案しています。関西人なのでオチは必須です。けれど、最初からふざけた奴と思われてしまうのも心外です。その匙加減が難しい。

 

これから覚えなくてはならない仕事のことより、挨拶のウケ具合の方を気にするあたり、やっぱり僕はダメリーマンです。

新しい仕事のストレスと期待

4月1日に定期の人事異動をするところも多いと思いますが、僕の勤める会社でも明日付の異動があります。そして、2年ぶりに僕も動くことになりました。人事には「50代になったので、新しい仕事よりも経験の活かせる仕事がしたい」と言っていたのですが、フタを開けてみると全く未経験の業務を担当することに。しかも自分以外のメンバーはその道のプロ、足を引っ張ることは目に見えています。

 

正直、しばらくはめげました。2年前にこのブログを始めたきっかけも不本意な人事異動でした。あのときの「早期退職衝動」が再びこみ上げてきてもおかしくありません。実際、徐々に始まった新しい部署がらみのミーティングや引き継ぎはわからないことだらけです。前任者から大量の資料を渡されてもどこから読めばいいかわかりませんし、社外の人との打ち合わせに加わっても相手の役割や自分の立ち位置も理解できずにいます。

 

「うーん、これはストレスだ!」という思いがあるのですが、それと同じくらいに「この歳になって新しいこと始めるのもいいかも?」という気持ちも湧いてきました。仮に仕事がうまくいかなかったとしても、それはそんな配牌をした人事や上司のせい、こっちはせいぜい楽しんでやるさという開き直りの心境なのです。

 

今の僕の状況をゴルフに例えると、「初めて回るコースのブラインドホール」です。目標のピンフラッグは見えず、「とりあえず、あの鉄塔の方向に打って下さい」と言われてる感じです。あす4月1日は記念すべきティーショット、OBを恐れずに最後まで振り切ることだけを意識して臨みたいと思います。

○○に比べればマシ

久しぶりの更新です。ブログを書かかない期間が長かったということは、その間は精神的に安定していたということでしょうか。このブログにいろいろ吐き出すことで、心の均衡を保ってこれたので。

 

また、きょうここに書いているということは、心がザワザワしているということです。4月に向けての人事異動、僕も対象となりそうなのです。もう50歳を過ぎると、「あんな仕事がしたい」とか「あの部署で働いてみたい」といったキラキラした希望はありません。むしろ、「なんとかこなせるところに押し込んで欲しい」とか「面倒くさい人(上も下も)一緒になりたくない」というような無難な行き先を望むようになります。

 

きょう午前中は、スポーツジムで泳いでいました。いつものように最後にサウナに入っていたら、テレビで国会中継を流していました。総務省の官僚が野党の議員に責められ、のらりくらりとまさに官僚的答弁を繰り返しています。優秀な彼らのことですから、この程度の追及は屁のかっぱなんでしょうが、それでも昨日の夜は寝付きが悪かったんだろうな…なんてことを考えていると、「ああ、うちの会社もろくなことはないけど、官僚よりはマシかな」と思えるようになってきました。

 

来週には春からの働き場所がわかります。定年まであと7年ちょっと、なんとか平穏に過ごしていきたいものです。

前向きで後ろ向きな自分

久しぶりのブログ更新です。

コロナ禍で自宅勤務が続く中、何もかもが億劫になっていました。おまけに天候不順もあり、ゴルフの予定もいくつか流れたりしてストレスの溜まる1月となってしまいました。そんな中、親しくしている老夫婦が暖かいところに滞在してゴルフを楽しんでいる様子をSNSに投稿しているのを見つけました。ホントに羨ましい限りです。お金と時間と健康の3つが揃わなければできないことですから。夫婦で同じ趣味を楽しめるというのはさらにハードルが上がるところです。カミさんと一緒に旅行するかは置いといて、早くリタイアして心の赴くままに旅したいという気持ちが一層強くなりました。

 

思えば、昔から「早く歳を取りたい」と思うタイプでした。中学生や高校生のときは大学生になって背伸びした遊びをするのが楽しみでしたし、大学生のときにはそれなりの職に就いてまっとうな社会人生活を送りたいと考えていました。そして50を過ぎた今、本当なら「若い頃に戻ってあれやこれやしたい」と思うところなのでしょうが、「早く定年になって老後を楽しみたい」と願う自分がいます。そう、後ろは振り向かないのです(笑)。

 

とはいえ、それなりの後悔もあります。もっと恋愛したかったとか、20代から真剣にゴルフに取り組んでたらシングルプレイヤーになれかも?とか。過去のことをあれこれ思っても何の得にもならないんですよね。これから一日一日をどう有効に過ごすのか、もう一度考えてみたいと思います。