朝晩15分の習慣
今年初めから朝晩に15分の習慣ができました。ピアノの練習です。基本的な運指の訓練と前回のレッスンで与えられた課題曲の練習です。15分は短すぎますが、15分だからこそ続いているのでしょう。
他にも、風呂に入る前に5分だけ筋肉体操をするという習慣も去年秋から続けていますが、こちらはゴルフに行った日や仕事で疲れた日はサボっているので、ちょっと反省です。
50を過ぎたおっさんが今さらですが、継続は力なりという言葉は本当だなと気付かされました。ピアノは少しずつですが指が動くようになってきましたし、心なしか筋肉が増えて肩幅も広がった気がします。
自分で決めた習慣、何の報酬も罰則もありませんが、可能な限り続けていきたいと考えています。あと一つ、パターの練習もメニューに加えたいのですが、こちらは飽きっぽくてなかなか続きません。成長が見えないからでしょうか。
味気ない車内アナウンス
1週間ほど前から、通勤で利用する電車の車内アナウンスが自動音声に変わりました。聞き取りやすい女性の声で、英語での案内もバッチリ、大きな駅に着くときには中国語とハングルでも駅名を告げてくれます。
でも、なんだか味気ないんです。やっぱり生身の車掌さんの声で「次は〜」を聞きたいのです。子どもの頃になりたかったのは電車の車掌さんでした。運転手じゃなく車掌、あの小さなマイクで喋ってみたかったんです。
全国的に自動音声化が進むと、独特の節回しを真似する中川家の礼二さんの芸が成立しなくなりますね。やっぱり残念です。
トイレットペーパーの使い方
コロナウイルスのせいで売り切れ騒ぎになるまで、トイレットペーパーのことを深く考えたことはありませんでした。ひょっとしたら、自分で買ったこともないかもしれません。
この前、トイレでふと考えたのですが、うちのトイレはペーパーが2つ装着できるホルダーが付いています。僕自身はあまりどちらのペーパーを使うか意識したことはなく、人によっても自分に近い方か遠い方か、手を伸ばすペーパーは違うはずです。
ただちょっとまずいなと思うのは、両方が同時になくなることです。トイレに入った時にはきにはペーパーの残量を確認したりしませんから、用を足した後に「あっ」と気づくわけです。完全に使い切れば交換しといてくれるでしょうが、少し残っていたら、しかもそれが2つともなら非常にまずいわけです。
使えるペーパーは1本だけで、予備のペーパーが横にスタンバイしているタイプのホルダーもありますが、あっちの方がそういう悲劇に巻き込まれなくていいですね。実に下らない考察でした。
滅多に使わないけど、要るもの
ほとんど使うことはないけれど、いざという時にあると助かるというものがあります。金持ちで家が広ければ、いくらでも買って収納しておけますが、庶民にはそういうわけにはいきません。ましてやミニマリストに憧れる僕には、年に一度使うか使わないかというようなものはキープしたくないのです。
具体的に書くと、このところ「どこかに置いてなかったっけ?」と探していたのが精密ドライバーです。老眼鏡のネジが緩くなって、ツルがグラグラになったのを直したかったのです。
ゴルフのキャディバッグにも「滅多に使わない」5番アイアンが入っています。ロングアイアンは難しいのでほとんど使いませんが、林の中に打ち込んだときに低いボールで出すために使うことがあるのです。それにセットで付いてきたし、どうせ14本まで入れられるからという消極的な理由もあります。
問題の精密ドライバーですが、家やら会社やらを探して、見つからないので百均で買おうかと思っていたところ、押し入れの道具箱にあるのを見つけました。難儀したのは、老眼鏡のネジを締めようと思っても老眼でよく見えないこと。別の老眼鏡をかけて、なんとか事なきを得ました。
オリンピック開催の秘策
新型コロナウイルスのせいで、東京オリンピック開催が怪しくなってきました。政府は「予定通り準備する」と言ってますが、ヨーロッパでの感染の広がりを見ると、よくて延期、最悪は中止というシナリオになるのでしょう。渋野日向子のメダル挑戦を見たかった僕にとっても残念な状況です。
ところで、オリンピックの代替になるものではありませんが、こういう時こそeスポーツに注目なのではないでしょうか?極端な話、選手は自宅から競技に参加できますし、観客もネットやテレビで楽しむことができます。テレビゲームがスポーツかどうか議論になるところですが、最近の「テレワーク推奨」の動きに似て、eスポーツはありなんじゃないかと思い始めました。
そうでなくても、選挙などのようにネットでの実施が望まれるものは他にもたくさんあるように思います。禍転じて福と為すではありませんが、このコロナウイルス騒ぎから何か得る事も大事なんじゃないでしょうか。
人生相談にハマる妻
ニュースはネットで見られるので新聞の購読をやめたという人も多いのではないでしょうか。テレビ欄もテレビそのものに番組表機能が付いてから必要性が薄くなった気がします。うちはチラシが欲しいという嫁さんの要望で今も取り続けていますが。
ニュースはネットかテレビで見ると言いながらも、配達されればザッと目を通します。新聞でしか伝えてない地域のニュースや、独自の解説記事もありますので。そして嫁さんも案外、熱心に新聞を読んでいるのです。特に「人生相談」を。
あの欄を愛読している人はどんな気持ちで読んでるんでしょうか?人の不幸は蜜の味と言いますから、他人の窮状を密かに喜んでいるのか、あるいは自分がそういう立場になったことを想像して参考事例としているのか。僕も早期退職して家にいたら、「引きこもり夫が邪魔」と投稿されそうです。
たぶん、回答の妙を楽しんでいるんでしょうね。ほう、そう答えますかと。かつては中島らもさんが名回答者でしたが、今なら蛭子さんでしょうか。
でも、人にはちょっと言いにくいですね。「人生相談を愛読してます」はやっぱり悪趣味です。
心配事の9割は起こらない
本屋でウロウロしていて、「心配事の9割は起こらない」というタイトルの本が目に入りました。少し心が疲れていたせいか、妙に気になってしまいました。
本を読むまでもなく、自分が心配に思っていることは9割方怒らないので、あれこれ悩むのは無駄ですよということでしょう。でもここで問題なのは、やっぱり1割くらいは現実になってしまうということです。
今回のコロナウイルス騒ぎも、中国国内での感染が伝えられていた頃は、「オリンピック中止かなぁ?」と言いながらも、どこかでまあ大丈夫だろうと思っていた人が多かったはずです。
人はそう変われませんから、僕のような悲観主義者は死ぬまでネガティヴなのです。でもそうやって保険をかけておくことで、いざアクシデントに見舞われても対応できるんだと、ポジティブに考えるようにしていまし。